2009年7月 9日 (木)

マイケル・ジャクソンのファン選曲のベスト盤に注目

6月25日に急死した「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソン・・・

「世界で最も成功したエンターティナー」としてギネスに認定されているマイケル・ジャクソン・・・

マイケル・ジャクソンのファン選曲によるベストアルバム『キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション』に注目です。

世界各国で、各国ごとにマイケル・ジャクソンの曲のファン投票を行い、そのファン投票の結果により収録曲を決めたマイケル・ジャクソンのベスト盤の日本バージョンです。

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション

このアルバムを聴くとマイケル・ジャクソンの音楽の素晴らしさ、彼がなぜ「キング・オブ・ポップ」と呼ばれるかがわかると思います。

マイケル・ジャクソンが、音楽における天才の1人であることは間違いないと思います。

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2009年7月 7日 (火)

ビートルズのマネージャーだったアラン・クライン死去

ビートルズのビジネスマネージャーだったアラン・クラインが4日に死去しました。享年77。

アラン・クラインは、ローリング・ストーンズのビジネスマネージャーとしてのビジネス手腕を買われ、1969年にビートルズのビジネスマネージャーとなりました。

いわゆる「やり手」と知られましたが、強引なやり方などには悪い評判も高かったといわれます。

アラン・クラインがビジネスマネージャーとなったことは、ビートルズ解散の一因になったともいわれています。
(ジョン・レノンらによってビートルのマネージャーとなりましたが、ポール・マッカートニーらは反対していたといわれます)


ビートルズのオリジナル・アルバムが9月9日にデジタル・リマスターが施されて新たに発売されます。
この発売は、非常に楽しみであり、ビートルズのファンとしては当然「買い」です。
ビートルズを知る上ではオリジナル・アルバムが必須なことはもちろんですが、ビートルズを知る入門としてはビートルのメンバーだったジョージ・ハリスンが選曲したビートルズの実質唯一ともいえる公式ベスト盤である通称『赤盤』、『青盤』がおすすめです。
シングルA面は全て収録されており、他にシングルB面、オリジナル・アルバム収録曲からも重要曲のほとんどをおさええいます。
『赤盤』、『青盤』は、ビートルの最良のベスト盤であるとともに、ビートルズのアルバムとしても傑作だと思います。

The Beatles 1962-1966
通称『赤盤』
1962年から1966年までのビートルズのシングル、重要曲をほとんどおさえています

The Beatles 1967-1970
通称『青盤』
1967年から1970年などのビートルズのシングル、重要曲をほとんどおさえています

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2009年7月 6日 (月)

ロジャー・フェデラーが2年ぶり6回目の全英オープン優勝、グランドスラム最多の15回優勝

5日に行われた全英オープン(ウィンブルドン)テニス男子シングルス決勝は、第2シードのロジャー・フェデラー(スイス)が第6シードのアンディ・ロディック(アメリカ)を5-7、7-6、7-6、3-6、16-14のフルセットの大熱戦の末に下し、2年ぶり6回目の優勝を果たしました。

先の全仏オープンで初優勝をし、4大大会(グランドスラム)を全て制覇する「生涯グランドスラム」を達成したフェデラーは、この勝利でグランドスラム通算優勝回数を15回としてピート・サンプラス(アメリカ)を抜き、グランドスラム通算優勝回数で単独の史上1位となりました。


それにしても壮絶な試合でした。

過去の対戦成績(フェデラーの18勝2敗)からフェデラーの圧勝かと思われたこの試合は、いい意味で裏切られる「ナイスゲーム」となります。

名勝負といわれた昨年、一昨年の決勝・・・ともにフェデラーとラファエル・ナダル(スペイン)の対戦・・・に匹敵すると思います。
(特に昨年の決勝は凄かったなあ・・・フェデラーの6連覇を阻止し初優勝したナダルはもちろん見事でしたが、敗れたフェデラーの凄さも感じることが出来る試合でした)

第1セットでお互いのサービスをキープして5-5で迎えた第11ゲームでフェデラーが、ブレークチャンスを生かせずにロディックにキープされると、第12ゲームではロディックにゲームをブレークされて第1セットを失います。

第2セットはタイブレークとなり、ロディックが先にセットポイントを奪いながら、フェデラーが粘り、第2セットを奪い返します。

第3セットはフェデラーがタイブレークを制し、第4セットではロディックがフェデラーのサービスを1度ブレークして6-3でセットを奪い返し、勝負はファイナルの第5セットへ・・・。

ファイナルとなる第5セットはタイブレークが無い・・・
ここまでフェデラーにはロディックのサービスブレークがなく、ロディックは第1セットと第4セットでフェデラーのサービスを1度ずつブレークしているところからロディック有利にも思えました。
(フェデラーのセットキープはいずれもタイブレークによるもの)

そしてこの第5セットはお互いにサービスをキープするという壮絶で「エンドレス」とも思えるような展開が続きます。
お互いのサービスキープが続いてフェデラーの15-14で迎えた第30ゲーム(!)・・・
ついに決着の瞬間がやって来ます!
最後は力尽きたロディックのミスでフェデラーの勝利!!

フェデラーは昨年の決勝で大激闘の末にナダルに敗れて失った「ウィンブルドン(全英オープン)王者」の座を取り返し、「芝の王者」復活を強く印象付けました。


この試合はフェデラーもロディックも本当に素晴らしかったと思います。

フェデラーは必ずしもストロークが好調とは思えませんでしたが、サービスエース50本を決め、「ビッグ・サーバー」といわれるロディックをエースの本数で上回りました。
そして肝心な場面でのストロークにはさすがフェデラーを思わせました。

ロディックも昨年2回戦で敗れ、1度は引退を考えながらコーチを変え、生活面も含め改善を試み、得意のサービス以外の面にも磨きをかけて今回の決勝進出という「復活」に結び付けました。
結婚も彼にとってよい作用となったかもしれません。

観客席で見守ったロッド・レーバー(オーストラリア)、ビョルン・ボルグ(スウェーデン)、ピート・サンプラス(アメリカ)らのテニス界の伝説、さらには中継の解説をしていたやはり伝説の男・ジョン・マッケンロー(アメリカ)の姿も映し出され、テニスファンにとっては感慨深いものがありました。

そして毎回感じることですがテニスというスポーツの素晴らしさも・・・。
素晴らしいプレーには温かい拍手、表彰式では関係者や敗者を先にねぎらいます。

ロディックのフェデラーをたたえるコメント、そしてサンプラスに向けて「ごめんよ、ピート」とフェデラーのグランドスラム最多優勝回数を阻止できなかったことを詫びるユーモアも交えたコメント・・・
(サンプラスとフェデラーはグランドスラム優勝回数で並んでいた)
フェデラーのロディックの健闘をねぎらうコメントにも温かさと王者の品格を感じました。

今回は前回王者のナダルの怪我による直前での出場回避は残念でしたが、大会は大いに盛り上がりました。
来年はナダルにもぜひ出場してもらいたいですね。

それにしても・・・ロディックとは紙一重の差だったと思いますが、そこで勝つあたりがフェデラーの凄さなのかもしれません。


今年最後となる4大大会である全米オープンも熱戦に注目です。

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2009年7月 3日 (金)

競馬殿堂入りの保田隆芳氏が死去

日本の競馬に大きな足跡を残し競馬殿堂入りした保田隆芳氏が1日に亡くなりました。享年89。

保田氏の主な足跡を以下に列記します。

-騎手として-

1934年に名門・尾形藤吉厩舎に見習い騎手として入門し、1936年に騎手となります。

1938年に阪神優駿牝馬(現在のオークス)に優勝し、クラシック初制覇。
この時の18歳8ヶ月は、最年少クラシック制覇は今も破られていません。
(JRA設立以降では、1989年に菊花賞を制した武豊騎手の19歳8ヶ月が最年少クラシック制覇)

1958年に騎乗馬であったハクチカラのアメリカ遠征に帯同した保田氏は現地で当時は日本で普及していなかった新しい騎乗法である「モンキー乗り」を身につけ、日本に「モンキー乗り」を広め、騎乗法の先駆者となります。
(同時期に野平祐二氏も日本で独自に「モンキー乗り」を身につけていたといわれます)

1968年に皐月賞を制し、旧八大競走を初めて全制覇します。
この時、保田氏は48歳2ヶ月、当時の最年長クラシック制覇でした。
(1986年に日本ダービーを増沢末夫氏が48歳8ヶ月で制覇し、最年長記録を更新)
(旧八大競走の全制覇は、保田氏以降では武豊騎手が達成しているのみ)

天皇賞を10勝(春3勝、秋7勝)しており、武豊騎手以前に「盾男」といわれ、天皇賞最多勝記録を保持していました。
(現在は武豊騎手が天皇賞最多勝記録を保持、2009年7月3日現在11勝-春6勝、秋5勝-)

1970年に騎手引退、引退レースとなった京王杯スプリングハンデを優勝し、最後の重賞制覇で引退に花を添えます。

騎手としての通算戦績:6143戦1295勝


-調教師として-

騎手引退後、すぐに調教師に転じ、メジロアサマ(天皇賞・秋)、トウショウボーイ(皐月賞、有馬記念)などを管理します。

調教師としての通算戦績:3485戦334勝


旧八大競走の全制覇、天皇賞10勝などをした保田隆芳氏は戦後において野平祐二氏とともに日本を代表するトップジョッキーだったといえます。

調教師としても天馬・トウショウボーイなどを管理しました。

2004年には野平祐二氏、福永洋一氏とともに騎手として競馬殿堂入りしています。

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マイケル・ジャクソン急死

音楽界に大きな足跡を残してきたマイケル・ジャクソンが6月25日に急死しました。

享年50・・・今月には復活ツアーを予定していた矢先の突然で早すぎる死でした。

マイケル・ジャクソンは、「ジャクソン5」、「ザ・ジャクソンズ」のメンバーとして活躍し、ソロとしても成功しました。
彼の世界的名声は、ソロとして1982年12月にリリースしたアルバム『スリラー』によってです。

『スリラー』は、現在までに世界で累計1億500万枚を売り上げたといわれるモンスター・アルバムで、「世界で最も売れたアルバム」としてギネスにも認定されています。

マイケル・ジャクソンには、世界的名声を得た後ぐらいから、さまざまなトラブルが発生して、音楽以外でも大きな話題を提供します。

児童虐待疑惑など社会問題となった話題もいくつかありました。

ビートルズのメンバーであったポール・マッカートニーとの合作があったかと思えば、両者でビートルズの版権を巡る争いもありました。

多くのトラブルは彼のキャリアにとって残念でしたが、音楽界においては大きな足跡を残した巨人であったことは間違いありません。

特に彼のキャリアのピークを作っていったアルバム『スリラー』は大きなターニングポイントだったといえます。

スリラー
マイケル・ジャクソンの最高傑作アルバムともいわれる「世界で最も売れたアルバム」です
このアルバムの大ヒットには、ミュージック・ビデオ専門チャンネル「MTV」の誕生も大きく影響しており、時代も後押しをしたアルバムともいえます
もちろんアルバムの完成度、楽曲の質の高さはいうまでもありません
捨て曲なしともいえるアルバムですが、特に収録曲では「ビリー・ジーン」が個人的には秀抜だと思います

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2009年7月 2日 (木)

アグネスタキオン急死

2001年の皐月賞を勝ち、ダイワスカーレット(桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、有馬記念)、ディープスカイ(日本ダービー、NHKマイルカップ)などの父で昨年(2008年)のJRAリーディングサイヤーとなったアグネスタキオンが6月22日に急死しました。

アグネスタキオンは現役時代4戦4勝・・・無敗で皐月賞を制したものの、脚部不安で引退しました。
アグネスタキオンの4戦全てを完勝したレース内容とアグネスタキオンが下したジャングルポケット(日本ダービー、ジャパンカップ)、マンハッタンカフェ(菊花賞、有馬記念、天皇賞・春)、クロフネ(ジャパンカップダート、NHKマイルカップ)、ダンツフレーム(宝塚記念)との関係から「幻の3冠馬」といわれることもあります。

アグネスタキオンは、父サンデーサイレンス母アグネスフローラ(父ロイヤルスキー)という血統です。
父サンデーサイレンスは日本の競馬生産に大変革をもたらした大種牡馬、母アグネスフローラは桜花賞馬、祖母アグネスレディーはオークス馬、全兄に日本ダービーを勝ったアグネスフライトがいる良血です。
サンデーサイレンスの後継種牡馬として注目され、前述のダイワスカーレット、ディープスカイの他にキャプテントゥーレ(皐月賞)、ロジック(NHKマイルカップ)などを輩出、昨年(2008年)は、内国産種牡馬としては1957年のクモハタ以来51年ぶりとなるJRAリーディングサイヤーを獲得しています。
アグネスタキオンの急死は、種牡馬として今後さらに活躍が期待されていた矢先のことでした。


競走馬としてのアグネスタキオンは、無事だったら「3冠馬」の可能性もあったと考えます。
アグネスタキオン自身の母の父が中距離血統のロイヤルスキーで、長距離への不安を指摘する向きもありますが、個人的には、祖母アグネスレディーが長距離血統のリマンド産駒であることと、現代競馬では長距離でも「スピード」と「絶対能力」で(距離を)こなしてしまう傾向にあることから、2400メートルの日本ダービーはもちろん3000メートルの菊花賞も克服可能だったと思います。

種牡馬としてのアグネスタキオンは、すでにJRAリーディングサイヤーとなり大きな成功をしていましたが、父サンデーサイレンスの最良後継種牡馬としての可能性も高かったと思います。
コンスタントに産駒が走る「安定力」、さらにその中から大物も輩出する「底力」を持つ素晴らしい種牡馬だったと思います。
急死は残念ですが、今後残された産駒からダイワスカーレットやディープスカイ以上の大物が出ることを期待したいと思います。

アグネスタキオンの「タキオン」は光の速度を超えるとされる超光速の素粒子・・・
競走馬としても種牡馬としても、ある意味アグネスタキオンは「超光速」で駆け抜けていってしまったといえるかもしれません。


アグネスタキオン 光を超えた伝説 [DVD]
4戦4勝・・・レース内容は全て完勝で、アグネスタキオンが下したジャングルポケット(日本ダービー、ジャパンカップ)、マンハッタンカフェ(菊花賞、有馬記念、天皇賞・春)、クロフネ(ジャパンカップダート、NHKマイルカップ)、ダンツフレーム(宝塚記念)との関係から「幻の3冠馬」といわれることもあるアグネスタキオン・・・
栗毛の美しい馬体とその圧倒的強さは、強烈な印象を残しました
その馬名の示すとおりある意味「超光速」(タキオンは光の速度を超えるといわれる粒子)の伝説を作ったといえるかもしれません
種牡馬としてもダイワスカーレット(桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、有馬記念)、ディープスカイ(日本ダービー、NHKマイルカップ)、キャプテントゥーレ(皐月賞)などを出し、2008年のJRAリーディングサイヤーとなり、ダンスインザダーク、スペシャルウィーク、ディープインパクトなどとともにサンデーサイレンスの後継種牡馬として注目されていただけに急死は惜しまれます

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2009年6月22日 (月)

日本では46年ぶりの「皆既日食」を楽しむ

日本では46年ぶりとなる神秘の天文ショーである「皆既日食」に注目です。

「皆既日食」は、2009年7月22日に奄美大島北部、トカラ列島、屋久島、種子島南部などで(場所によって多少異なりますが)午前10時55分前後から約5分前後ほど見ることが出来ます。


「日食」そのものは、例えば屋久島では、始まりが9時37分06秒で、終わりが12時22分37秒・・・「皆既日食」は10時56分10秒から11時00分05秒までとなっています。

「皆既日食」ではなく「部分日食」なら列島全体で楽しめます。
例えば東京なら、9時55分33秒から12時30分20秒までです。

(参考サイト:国立天文台「2009年7月11日皆既日食の情報」)


前回の日本での「皆既日食」が観測できたのが1963年(昭和38年)7月21日の北海道でしたから前述のとおり46年ぶりで私が生まれる前です・・・次回の日本での「皆既日食」が2025年9月2日で北陸、北関東となっていますから26年後となっています。

いずれにしても日本で「皆既日食」が観測できるのは「貴重」ではあります。


以下に「皆既日食」を含めた「日食」を楽しむためのマニュアルと安全に太陽を見るための「日食メガネ」の付いた書籍を紹介します。

日食観測マニュアル 安全に太陽を見る「日食メガネ」付き (アスキームック 星ナビ別冊)


「皆既日食」などに関するデータなどについては、以下の書籍が重宝です。

理科年表 平成21年 ポケット版
今年(2009年)は前述の「皆既日食」が日本で観測出来る以外にもガリレオが夜空に初めて望遠鏡を向けた1609年から400年目に当たり「世界天文年」とされています
「理科年表」は天文学以外にも「理科学」の興味深いトピックスやデータが収録されており、「理科学」全般の参考資料、データ本として重宝します

天文年鑑〈2009年版〉
今年は「世界天文年」とし、「皆既日食」も注目されています
天文学に関するデータが収録されています

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2009年6月21日 (日)

書籍「時間の分子生物学」に注目

「生物時計」・・・生物に備わっている(細胞の中に組み込まれているサイクル時計、「体内時計」)について書かれた書籍「時間の分子生物学」について注目です。

時間の分子生物学 (講談社現代新書)

私たちの多くは、1日のサイクルでは、朝起きて、昼に活動して、夜に寝る、食事が近づくと「腹時計」が鳴る・・・など身近に「生物時計」を体感しています。

春夏秋冬によって、年齢によって「時間」の進み方や感じ方が違うのも「生物時計」の作用といえるかもしれません。

本書は「生物時計」とその「生物時計」に大きく関わる「睡眠」について、さらには「遺伝子」「DNA」などについて「分子生物学」のアプローチでトピックスを交えてわかりやすく書かれています。


余談であり、私事ですが、私は普段、目覚まし時計を使わずに起床しています。
目覚まし時計なしでも自然に起き、時間も起きたい時間にほぼ起きます。
人の気配にも目が覚めやすくもあります。
これは幼少時からだったので、おそらく生来の体質なのでしょうが、「体内時計」から見れば「自然」なのかもしれません。

起きたい時間に起きることが出来る、人の気配で目が覚めやすいのは、太古の自然で生活していた人間が外敵から身を守るための太古の記憶の名残、よくいえば「防衛本能」ですが、ある意味「臆病さ」の表れなのかもしれません。

この体質がいいか悪いかはわかりませんが、ある意味で、私の体を通じて「体内時計」について感じることが出来るのは確かです。

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2009年6月20日 (土)

生誕100年に太宰治の作品を読む

今年(2009年)は太宰治の生誕100年に当たります。
-太宰の生誕年月日は、1909年(明治42年)6月19日-

太宰は、日本を代表する作家の一人であり、彼の作品「走れメロス」は教科書にも掲載されていたのでよく知られていると思います。

生誕100年を機会に、太宰治の作品を読む、あるいは読み直すのもよいかもしれません。

作品を読めば、生誕100年を経ても彼の作品が読み継がれているのかがわかると思います。

文豪の作品には、不朽となるべき理由があるのです。

「走れメロス」などを読み直せば、当時とは違った感想を持つかもしれません。

若き日に文学に興味を持った人のなかには「斜陽」や「人間失格」を読み、衝撃を受けたひともいるかもしれません。
今この作品を読むと当時とは違った読後感を味わうかもしれません。

太宰治の作品を新たに読む人にも刺激があるかのしれません。


以下に紹介するのは太宰治の作品が11篇収録された文庫本です。

前述した「走れメロス」、「斜陽」、「人間失格」も収録されています。

太宰治という作家を知る上でおすすめです。

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)
太宰治の作品を11篇も読める、ボリューム(厚み)もある文庫本です
作品の中で特におすすめは、太宰の自伝的内容となっている「人間失格」で・・・作品を支配する暗さから賛否両論があるでしょうが、個人的には人間の内面を映した傑作だと思います
「人間失格」は太宰の晩年の作品ですが、芥川龍之介の晩年の作品と感覚的に同じ「空気」を感じます
(ちなみに太宰、芥川ともに自殺により人生の幕を引いています)
太宰治という作家を知る上でおすすめです


全くの余談ですが、プロ野球の野村克也氏が王貞治氏、長嶋茂雄氏を「ひまわり」にたとえているのに対し、自身を「月見草」にたとえているのは、太宰の作品「富岳百景」の一節「富士には、月見草がよく似合ふ」から採ったといわれています。
(ここでの富士とはもちろん富士山のことです)
野村氏も太宰治の作品を読んでいたということですね。

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2009年6月18日 (木)

「年収5000万円を捨てた男」ジョン・ウッドさんの人生の選択

フジテレビ系列の「奇跡体験!アンビリバボー」での「年収5000万円を捨てた男」ジョン・ウッドさんを紹介していましたが、彼の人生の選択にはある種の感動をしました。

ジョン・ウッドさんは、名門大学大学院から世界一のコンピューターソフト会社(番組では名前は出ませんでしたがマイクロソフト)に入社します。
在学中にMBA(経営学修士)を取得し、会社では海外マーケティングで実績を挙げ、幹部に抜擢され、30代半ばにして莫大な収入を得ていました。


転機は、オーストラリアに赴任していた時に、長期休暇で趣味のトレッキングをするために訪れたネパール・・・
そこで地元の小学校を見学したジョンさんは学校の施設のみすぼらしさ、特に図書館の施設にショックを受けます。
ジョンさんは本を寄付してもらえないかと頼まれ、英語の本でよければと送ることを約束します。
現地から仲間にメールで本の寄付を呼びかけます。

その後、休暇を終えてオーストラリアに戻ったジョンさんは、本の寄付のことを忘れていましたが、アメリカの実家に3000冊の本が送られてきていました。
ジョンさんは本を届けるためにネパール行きを決めますが、ネパールのライオンズクラブから大量の本を預かっているとの連絡が・・・ジョンさんは母が送ってくれたものと思いましたが、実家に連絡して、昔から折り合いが悪かった父のロバートさんが送ってくれたことに驚きます。

約束から1年後に、3000冊の本を学校に届けるためにネパールを再び訪れジョンさんは、そこに父のロバートさんがいることに驚きます。
ヤク8頭を借りて丸2日の厳しい行程となるため父の同行を思いとどまるように説得しますが、結局は2人で行くことになります。
丸2日間かけて学校へたどり着いた2人・・・
子供たちの喜ぶ姿、帰りに持ちきれないほどの花束をもらったジョンは自分のした事が間違いでないことを確信します。


その後、ジョンさんは、会社を辞め、教育支援団体「ルーム・トゥ・リード(ROOM to READ)」を立ち上げます。
しかし資金援助が集まらず、貯金もゼロに近づきます。

そこへ父のロバートさんから電話が・・・ジョンさんは思わず弱音をはきますが、ロバートさんに「ビジネスマンの時のお前は私たちの自慢だった。だけど父さんは今のお前のほうをずっと誇りに思う。」といわれます。
子供の頃にジョンさんが好きだった本のことなどを話したロバートさん
子供に無関心だったと思い、折り合いの悪かった父・・・
でも実際はジョンさんのことを見守り、よりよい教育を受けさせるために仕事に没頭していただけだということに気づかされます。
(この場面は個人的には番組のハイライトでした・・・ロバートさんの父の子に対する愛を感じました、少し熱いものがこみあげました)

その後、「ルーム・トゥ・リード」の活動は理解と支援を少しずつ得られるようになり、組織は大きくなり、世界に広がり2007年には東京に支部が出来ます。

本の寄付から始まったジョンさんの活動・・・それは教育全般を支援する「ルーム・トゥ・リード」の活動となり、子供たちの「希望」を支え、後押ししています。


ジョン・ウッドさんの「ルーム・トゥ・リード」を立ち上げたエピソードにはもちろん感銘を受けましたが、ロバートさんとの父子愛も素晴らしいと思いました。

エリートビジネスマン、エグゼクティブとして莫大な収入を得ていた男が教育支援団体を設立し、子供たちの夢を支援する・・・なかなか出来ない人生の選択です。


以下はジョン・ウッドさんの著作です。

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
ジョン・ウッドさんの「ルーム・トゥ・リード」の運営には、彼のビジネスマン時代に培ったノウハウもいい意味で生かされていると思います
もちろん最も評価すべきは、彼の「行動力」と「熱き思い」だと思います

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